清水寺の歴史

富山で一番古い寺(古刹)で、大同山清水寺(せいすいじ)又は
東嶺山清水寺と言われています。

現在は高野山(こうやさん)真言宗となっていますが、昔は法相宗で、

本山は奈良の薬師寺ですが、何十年か前に当時薬師寺の高田好胤管長さんから
「京都の清水寺は北法相と言われているのでこちらが東法相にあたるのでしょうね」
と言われたいきさつがあります。

山号が大同山と東嶺山とあることからも、推測されます。

清水寺は、各県に1ヶ寺あり、新潟県は佐渡ヶ島に、石川県は能登にあります。
当本尊様は、清水寺式千手千眼観世音菩薩(清水寺式は日本で7体きりありません当山の本尊様は座像)です。秘仏となっています。

上杉謙信に越中攻めの際に全焼し、当時は七堂伽藍のある京都清水寺の程の大きさでした。

その名残が分かるのは、堂前、花立て、油田(あぶらでん)、

おぼく前田、観音堂などの地名が残っております。

現在のお寺は、文化13年(1816年)7月13日に棟上げしました。

現在の本堂は、以前米蔵があった場所で、

掘ると焼き米が出てきて、今も埋まっています。

本尊の厨子の中の内側には大同山と書いてあります。

法相宗の本尊の脇仏は、右手にお地蔵様、左側に毘沙門天様の飾り方で、真言宗は、右手は、お大師様とお地蔵様、左側にお不動様の飾り方です。